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コラム「私のクールジャパン」

ラッドバウト・モライン

Cool Japan, Hot Holland

起業家ラッドバウト・モライン

 2018年7月5日、レンブラントの『エッケ・ホモ(民衆に晒されるキリスト)』が、ロンドンのクリスティーズで300万ユーロ(約3億9,000万円)で落札されました。1655年に描かれたこの絵は、当時のヨーロッパでは希少だった日本の和紙に描かれたレンブラントの傑作です。最近の研究により、この和紙は福井県の越前で作られたものが、当時日本とオランダや西洋をつなげていた長崎湾の出島から伝わったことが明らかになりました。レンブラントはいつも和紙に息子ティトゥスのエッチング画を描いていました。和紙は表面が滑らかで光沢を放っていたのに対して、西洋の紙は粗くくすんでいました。数年前にアムステルダムにある美術館「レンブラントの家」で和紙を展示し「西洋の紙と和紙のそれぞれに描かれた絵を比べると、レンブラントが絶妙に両者を使い分けていた効果が表れています。」と解説しています。これはオランダと日本の技術が融合したすばらしい例です。

レンブラントが和紙の良さを見出してから約100年後に、出島を通じ日本にオランダの光学画が紹介され、それが西洋流の消点画法を用いた木版画である浮絵へとつながっていきました。先日日本とアムステルダムで開催されたゴッホ展で見られたように、歌川豊春、葛飾北斎、歌川広重は、フィンセント・ファン・ゴッホにインスピレーションを与えた最も有名なアーティストとなっています。

200年以上にわたる日本の鎖国時代は、明らかに日本とオランダが最も親密だった時期と言えます。オランダはこの時代に出島を通じて、化学、電気、消火ポンプ、顕微鏡、望遠鏡、熱気球、地球儀、時計など多くの科学的知見や、コーヒー、ビール、チョコレート、トマトなどを日本に初めてもたらしました。オランダは徳川家に新種の動物や熱帯の鳥まで紹介しました。

また、蘭學は日本の現代医学の基礎を成しています。杉田玄白と前野良沢によって1774年に著された『解体新書』は、西洋医学を受け入れる転換点となり、現在も外科手術用の「メス」という言葉が使用されています。オランダとの交流は、日本に新しい世界観をもたらし、近代国家日本の台頭に大きく貢献しました。

一方、オランダ人貿易商は日本から銅や銀、米、樟脳だけでなく、陶器や磁器、和紙も買い、これが日本のものづくりがヨーロッパに紹介された最初の例となりました。日蘭相互に影響を及ぼしたものの印象的な一例として、日本の陶磁器を挙げることができます。17世紀から18世紀にかけて、有田焼や伊万里焼などの日本の陶磁器がヨーロッパで人気を博し、オランダのデルフトでは日本の陶磁器技術とデザインに基づいた産業が発展しました。「デルフトブルー」はその直系の子孫になります。

日本とオランダの交易による効果を示すものは両国の至るところに見られます。ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステインは、初期の頃に日本で活躍したオランダ人貿易商の一人で、418年前に大分県臼杵市の黒島に漂着しました。彼の乗っていたリーフデ号は初めて日本に来たオランダ船でした。ヤン・ヨーステンは後に江戸の「八代洲河岸」と呼ばれるようになる地域に家を与えられました。彼の名前は日本語で「Yayōsu」と発音されており、現在の東京駅の八重洲口も彼の名前に因むものです。

また、オランダの交易所である長崎の出島は近年、有名な橋(出島表門橋)も含めて復元されています。

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが日本からヨーロッパに紹介し、オランダのライデンにある植物園で育てた紫陽花は、現在、ヨーロッパ中の庭園や公園で見ることができます。

また、明治時代初期の日本で活躍した政府の「お雇い外国人」の中にはオランダ人技術者が数多くいました。彼らは東京、横浜、大阪、広島を含め港湾や運河の設計に関わり、彼らを称える彫像は郡山市(福島県)や愛西市(愛知県)、木津川市(京都府)など日本中で見ることができます。日本の水準測量の基準点となる日本水準原点も、オランダ人技術者たちが設定したものです。オランダ人技術者たちは1857年に長崎で鉄の鋳造場の建設にも協力し、これが後に三菱重工長崎造船所へと発展し、三菱グループの源流の一つとなりました。

2018年現在も日蘭両国の良好な関係は続いています。ヨーロッパの大きな日本のビジネス・コミュニティーの一つはオランダにあり、またアメリカ企業に次ぐ多くのオランダ企業が日本に進出しています。ラーメン、お好み焼き、寿司などの日本食がオランダに入ってきています。日本のデザインやデザイナーもCoolだと受け入れられています。アムステルダムにあるホテルオークラは、おもてなし文化を体験できる絶好の場所です。マンガやアニメも大人気で、日本語を話すオランダ人学生が急増しています。

日本の工芸品や文化財、著作物のコレクションがアムステルダム国立美術館やゴッホ美術館、ライデンのシーボルトハウスや国立民族学博物館など博物館に展示されており、国立民族学博物館にはおそらく世界最大の日本の文化財のコレクションが所蔵されています。日本の文物の歴史が見たければ、ライデンに行くことをおすすめします。オランダは日本についての“Hot”な場所なのです。

これまで述べたような日蘭両国のユニークな過去、現在、未来の歴史をこの機会に活用してみてはいかがでしょうか。具体的には、両国が共有するすばらしい歴史をベースに、日本の優れたものづくりの技術とオランダの名高い商業技術を組み合わせ、アムステルダムに21世紀版の「逆」出島を築くのです。そして、日本の歴史と文化、ものづくりの技術がどのようにして現代の産業プロセスに融合されていったかに加えて、日本人の完璧な質へのこだわり、物質・材料科学に対する情熱、驚きのデザイン文化を示すことで、有名なメーカーだけでなく、主要産業の周辺にいる中小企業に至るまでの“ものづくり”を見せるのです。

それは何故か。魅力的なストーリーを持つ国を一つ挙げるとしたら、それは日本です。そしてその日本の物語を語ることができる国を一つ挙げるとしたら、それはオランダです。まさに“Cool Japan, Hot Holland”だからです。

PROFILE

ラッドバウト・モライン

起業家

パリ、オランダ、日本(山本學と佐藤オリエと共に舞台役者として活躍し、NHK朝の連続テレビ小説『マー姉ちゃん』に出演)で数年間働いた後、日本とヨーロッパで日本企業のビジネス展開を支援するコンサルティング会社を立ち上げ。13年間にわたって蘭日貿易連盟(DUJAT)の運営に関わり、その貢献が認められて、2016年に日本政府から旭日小綬章を授与される。現在、起業家グループと一緒にアムステルダムに21世紀版の出島を建設することを計画中。新たな小売りの構造を持った、出島とは逆の形態のこの「Coool Japan Department Store(クールジャパン・デパート)」は、クールジャパンの中でも最もホットな商材をまさに21世紀の環境下で体験することができる。

参照資料: My personal reflections on Japan